おはようございます!
富山県射水市小杉駅を中心に、人と住まいを結ぶ不動産屋 米山です。

昨日はがっつり事務作業を行いました。
普段細かすぎて後回しになっていたこと。時間をかけて集中して複数を比較しないといけないことを中心に。
自分以外もできることはなるべくやらず、
自分にしかできないことに時間を割く、
というのは当たり前のようで意識しないとなかなか実現しないことですね。

さて、以前営業の先輩の方が
「営業にはいろんなスタイルがあるよ。僕みたいにたくさんしゃべるスタイルもあるし、一生懸命聞くスタイルもある。」
と仰ったことが、ふと頭をよぎりました。

私はあまり自分から積極的に話すほうではないし、話題が次々に出てきたり、着地に向けてぐいぐい引っ張っていくことができません。
が、お話を聞くのは好きです。

思い返せば3人兄弟の末っ子で、
交流の厚い親戚の中でも年下の部類で、
そんな自分にとって、周りの大人はもちろん、自分より年上兄弟、いとこたちのほうが当然早く話し始めるわけで、その人たちが話しているのを聞いていました。
というより、聞くしかできなかった、というのがスタートだったのだと思います。

そういうわけで、色んな所に連れていかれても、そこでよく話す方のお話をじっと聞くのが常でした。
特に、母親のお兄さん(伯父さん)がよくしゃべる方で(笑)、ビールやお酒を飲みながら何度も何度も同じ話のエンドレスリピートが始まったとしても、
ただ黙って聞いている、
そんな感じ。
それ自体が自然なことだったし、全くストレスに感じることもなかった気がします。
そして、そんな様子で幼少期から少年時代、青年と歳を重ねていきました。

時にうまく話すことにあこがれて、それに固執し頑張ってみた時期もありますが、やはり、「話がうまい」人と自分を見比べてしまい、自信を無くすことの繰り返し。
自分には話す才能はない。

だから、「営業」ってすごく苦手なイメージがあったんです。 
「営業」=「話す」の定義づけが消えるまでは。

富山に帰り、師匠に引っ付きながら不動産業の仕事を覚える中で、言葉少なに、うんうんと頷いてよーくお話を伺う師匠の姿を見ながら、
上記の定義が間違っていたことに気付きました。

もちろん、積極的にお話を引っ張ってアピールしていくことは重要で、その重要性は痛いほど味わっているのですが、
それでもなお、

自分自身の「聞く」ことについての耐性

「聞く」(ほとんど「聞く」しかできない?)という行為は大事にしていいという思い
が手伝って行動になり、それを繰り返すことにしています。

自分が拘っていたことを手放した瞬間に、ふと新しい境地に至ったり、新しい出会いがあったりします。
「得るは捨つるにあり」
「捨我得全(しゃがとくぜん)」
とはよく言ったものです。


まだまだ、「聞く」ことのエキスパートの方からしたら赤子レベルだし、「営業」の「え」の字を実践し始めた段階なのですが、この方向性に自信をもって深めていきたい。

「三つ子の魂百まで」ともいいます。
自分にしかできないことに力を注いで周りに貢献できるとしたら、それはやはり幸せなのではないか、と思っています。